誰も永遠には生きない その2
実家に戻りご飯を食べて、風呂に入ったあとに再度病院へ。
祖母の夜間付き添い。
祖母の病室へついた途端、叔母が言った。
「お前には付き添いは無理かもしれない。」
どうも祖母の様子が尋常ではないとのこと。
いきなりうわ言を言って、ぞっとする大声量で笑い出す。
うわ言の内容は「花さかじいさん、花さかじいさん」とか、意味不明。
うわ言だけなら別に害はない、と叔母を帰らせて、付き添いへ。
正直に言えば、かなり怖い。
叔母が帰ろうとすると「○○ちゃん!!」と叔母の名前を大声で連呼する。
薬のせいかはわからないが、祖母は急に子供のようになってしまっている。
明かりが消えてから2時間、最初の姿勢変更をする。
看護士さんに手伝ってもらい、祖母の体を持ち上げたり引っ張ったり。これを怠ると、悲惨な床ずれが出来るらしい。
6時間後の姿勢変更が終わり、看護師さんが帰ると、急に祖母が騒ぎ出した。
叔母の名を呼んでいる。
どうも僕のことを孫だと認識できていないようだ。
話しかけても耳を貸さないので、歌うことにした。
歌を選択した理由は良くわからない。眠くて頭が働かなかったし。
曲目は「浜辺の歌」。これも理由不明。
一番を歌い終わる頃には、祖母は静かになっていた。
きょとん、とこちらを見ている。
その後、急に理性的な表情になった。
知らない人の前で騒いだことを恥ずかしがっているような素振り。
その後は何事も無く、朝を迎えた。
交代に来た叔父が僕の顔をみて驚いていた。
「男の癖に夜間介護までするとは、お前はなんて偉いんだ。」という趣旨。
自分としては、一定以上の犠牲を伴う介護をするか、入院費のなどの金銭面での負担をする以外に、祖母の役に立つなんてことはありえないと考える。
どうにも僕は、姉のように1時間かそこら優しい言葉をかけてそれで帰る、みたいな情緒的なものに価値を感じ辛い。
第一、僕や姉の顔すらわかっていないボーっとした祖母に優しく声をかけてもなぁ、と。
叔父にはそういうことは言わなかったけれど。
あと、言わなかったことがもう一つ。
祖母に付き添ったのは、祖母や介護中の母のためだけでもない。
「死」に近づいた人間と一夜を共にするというのがどういう事なのか。
それが知りたかった。
『誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も永遠には生きない』
誰も永遠には生きない その1
入院中の祖母に付き添った。
吸い口から水を与え、口に食事を運ぶ。
食べ終わったら、入れ歯を外してうがいをさせ、口内に食べカスが残っていないか確認する。
口を動かす祖母は、どうにもボーっとしていて、僕のことを認識していない風情だった。痛み止めか何かの影響か。
食事中にいとこの小学生二人が来る。高学年の長女はずいぶん背が大きく、すらっとしていた。
二人に祖母の食事を手伝うように言うが、怖がってスプーンを持とうとしない。
もにゅもにゅと緩慢に動く口、口の端からのよだれ、オムツと老人独特の臭い、表情の無い顔、入れ歯を外した時の皺だらけ口元。
要は「老い」に対しての生理的嫌悪感や恐怖心、それらに打ち勝つ力がこの子達にはまだ無いんだろう。責めはしない。
途中で僕の姉も着た。祖母にゼリーを食べさせ、1-2時間ほど話をして都内に帰る。
今後も病院通いを続ける僕の母親と叔母の体力を温存するため、その日の夜間付き添いは僕がやることにした。2時間ごとに床ずれ防止用の姿勢変更と水分補給をするだけ。
夜間付き添いを申し出た時、親戚一同がとても感心していた。
でも、このまま実家に帰ったら、僕は母親が僕の分のご飯を作る手間を増やしに帰ってきただけだろう。
父親は僕の夜間付き添いをあからさまに止めさせたそうだった。
「感謝なんかされない」「(錯乱した祖母が)首をしめられた、なんて言い出したらどうする?」
どうも、父親、叔父世代の人間は介護=「女の仕事」と考えていて、それを男がすることを良く思わないようだ。
世の中意外や意外。
愛情とは何か
祖母が転倒、骨折した、との報を聞いて病院へ。
電話口の母親の話では、今にも死んじゃいそう、と言わんばかりの様子だったが、実際に顔を合わせるに、どうもそこまでの話ではないようだった。
薬のせいか、痛みのショックか、表情に乏しく、動きが緩慢な祖母。
動けないので、吸い口で水を飲ませてやり、食事はスプーンで食べさせる状態だったが、それなりに食欲はあるようで、安心した。
電話口の母は、薬による内臓へのダメージからの容態の悪化を病的に怖がっていた。
「いつ死ぬか、わからない」とヒステリックに繰り返していた。
実際病院に言ってみると、祖母には食事制限もかかっていなかった。
食事制限なし=薬や塩分等をろ過、分解する肝臓、腎臓への負担を考えなくていい状態 だろうから、母の心配は杞憂なんだろう。
実際聞いてみれば、母の懸念はお医者さんに言われたことでなく、自分の考えだそうだ。
正直、どっと疲れる。
まぁ、実の母親が怪我したんだし、大目に見るべきだろうけど。
肉親のことになると理性が全く働かない性格、不安に対する耐性が低く、すぐ誰かにぶちまけてしまう、こらえ性のなさ。
この二つを「愛情深さ」と勘違いしていることをいつか指摘しなければ、とは思う。
弟に医学部行きを強制した「愛情」のことについても。
母親のこういう面を見る時、いつも「愛情とは何か」を疑問に思ってしまう。
取り敢えず指摘すべきは今ではない。
こどもの夢と憂鬱
連休返上しての学会発表が終わり、アジアでの事業立ち上げ用の新製品も、今日初めてまともな形になった。
なんて書くと出来る人っぽいけれど。ただ平々凡々と毎日を生きているだけではある。
ちなみに学会では、僕らの新手法のうわさが回っているらしく、発表時間中だけでなく、時間後にも、質問やよその企業の挨拶がやたらきた。
今日でひと段落。
これは小学生の頃に想像した「なんかすごい発見をして、みんなの前で格好良く発表する僕の図」を叶えたことになるんだろうか。
多少細部が歪んだり、色が褪せたりしたとしても。
正直言って、ばかみたいだな、とは思う。
もちろん誇りを持って仕事をやってはいる。
取り敢えず明日僕がなんかで死んじゃって、神様の前でスピーチをする破目になったら、こういうだろう。
「自分は希少物質の代替技術の開発をやってきました。近い将来、この物質を求める人は減るでしょう。
未来のどこかにある、人間が特定の資源で困窮したり、争ったりしなくて済む社会の建設に少しでも貢献できたでしょうか。」
大げさではない。僕らのやってることは卑小でささやかではあるけれど、結局のところはそういうことだ。(会社の第一目的はもちろんお金だけど)
確かに社会に役立っている。だとしても、ばかみたいだ。
どうしてこんな風に感じるんだろうか。
1 材料開発なんてマニアック過ぎて、業界の人以外、興味ないから
2 仕事が地味だから
3 合コンでモテなそうな仕事だから
4 仕事上の成果と自分のアイデンティティーを混同したくないから
5 どれだけ学会で注目されても、製品が売れなければ意味が無いから。
6 子供の頃の夢を叶えることなんて、世間でいうほどの価値がないから
7 子供の頃に想像していたものが、色の若干褪せた現実になったから
ちなみに1ー3はどうでもいいな。割と好きでやってるし。
『明日の朝もとても早いのに 眠ることさえ忘れてしまう様な 生きがいがこんなものだなんてね うそみたいだろう』大森靖子
なかなか人間シリアスにはなれない
日曜日くらいから、ニュースを読む時間が増えた。
もちろんウクライナについて。
おとといあたりから急にトーンダウンしたけど、日曜日時点では「9.11以来の大事件じゃん!」とか「いまさら冷戦のリベンジマッチかよ 」とか、本気でビクビクしてた。
しばらくはBBCのとりこ。9.11の時と違ってよその国のニュースを直に見られるのに驚いた。進化したなぁ、世の中。大人になったなぁ、自分。
取り敢えずアメリカさんも「経済、外交的」制裁って言ってるし、ロシアさんも「クリミア併合しない」って明言してるし、安心安心。
そんなにビクビクしながら選んだカタログギフト5000円分(友人の結婚式で当たった)はヤマハのハーモニカ。10日くらいで届くそうな。
何でそれにしたのか自分でも良くわからない。
吹けなかったらどうしよう、と心配になってしまう。
世界大戦の心配をしつつハーモニカの吹き方を調べている人間がいるとは、恐れ入る。
なかなか人間シリアスにはなれない。
雪の影の色、穴掘り
記録的な大雪。ここしばらくは家で会社で雪掻きばかりしていた。
道路が全面封鎖されてスーパーにもモノが全く入らないので、作り置きのカレーばかりを食べている。
1mくらい積もった雪を掘る。その間、ずっと物語の中の穴掘りのシーンを思い出していた。「ニュークリアエイジ」「ねじまき鳥クロニクル」「星のさみだれ」あと一次大戦の塹壕のこと。
一つ気づいた。雪の影について。
雪が雪の上に作る影は青く見える。他のものが雪に作る影は黒いのに。
午後になって雪が湿り気を帯びてくると、一層ほの青く見えた。不思議。
仮説その①
太陽光が雪に反射されると青い光になる説。雪=水=OH基は赤+赤外の光を吸収した気がする。雪に反射された青い光が別の雪の上に落ちている説。
仮説その②
空が青いのと同じ現象説。雪の微結晶に青い光が散乱されて周囲が青く見えている説。これだと「湿った雪=水+結晶ぎっしりな雪」 の方が青い色なのも納得。
答えはわからないけれど、仮説が立つのがすき。
こども電話相談室に訊いてみよう。
針葉樹林だった頃から
雪が降っている。
埼玉とは思えない大雪。
午前は散歩がてら会社に行って、ちょっと仕事をした。会社まで歩くのが、以外に楽しい。
工場敷地内の坂で、子供たちがそり遊びをしていた。「すごい滑るね。」と声をかけたら、いそいそと何処かに行ってしまった。
立ち入り禁止といえば禁止だけど、車も絶対来ないし、別に怒らないのに。
帰り際、会社の横の森を見ながら帰る。雪が積もった笹の下に、ウグイスを見つけた。
動きが遅くて、近寄っても逃げなかった。
雪の針葉樹林って、どうしてこんなにいいのだろう。
『ばくぜんとおまえが好きだ 僕がまだ針葉樹林だったころから』東直子