留保のあるラブソング
自分の好きな音楽ジャンルの一つを挙げろと言われたら、僕は「留保のあるラブソング」を挙げる。個人的な好みの問題で。
それって何?ときかれると困るのだが。
例えば村上春樹のエッセイを読むと、時々「留保のない○○」という表現が出てくる。大抵は留保のない情熱、とか留保の無い愛情、みたいに「無条件で肯定出来るもの」という意味で使われている。
「留保のあるラブソング」はそれとは真逆で、「無条件で肯定できない愛情」の歌のことだと自分は考える。
すぐに思いつくのが以下の三つ、
①スピッツ「冷たい頬」
②くるり「ばらの花」
③The Beach boys 「God only knows」
The Beach Boys - God Only Knows (Lyrics via ...
「あなたのことを深く愛せるかしら」という、まさに愛情の留保から始まる「冷たい頬」。
明確な愛情の喪失ではなく、雨降りの情感と気だるげな雰囲気、単純な「好き」では表せない恋人への淡い倦怠感とほのかな恋慕。これをジンジャエール、バス停という小道具で詩的に表現している「ばらの花」
「I may not always love you,」と始まる「God only knows」。「君がいなくても人生は確かに続く、でもその世界は僕に何も示さない」。
この三つを挙げれば、僕が言わんとしていることは理解されるだろうか?
大抵のラブソングは、愛情を肯定的、単純的に捉えている。人を愛することは素晴らしいことで、失恋することは悲しいことなのだ。恋人と恋愛は基本的に肯定されるべきで、自分(もしくは相手)は、もう一方のことを本気で愛しているのだ。
これって本当なんだろうか?みんなそんなに自分の愛情に自信をもっているんだろうか?自分が本当に相手を愛しているのか、100%確信できる人間がこの世のどこにいる?相手を純粋に愛せないことの悲しさは、ラブソングに歌われなくていいのか?
上に挙げた歌のなかには、この疑念がある。
自分がもっている愛情への疑念、不安、そして近しい人間同士の消せない断絶、断絶を消せないことへの悲しみがある。そのこと自体がこれらの歌をすぐれた「愛についての歌」たらしめている。
この音楽を聴く。「自分は誰も愛していない」と唱える。