こどもの夢と憂鬱
連休返上しての学会発表が終わり、アジアでの事業立ち上げ用の新製品も、今日初めてまともな形になった。
なんて書くと出来る人っぽいけれど。ただ平々凡々と毎日を生きているだけではある。
ちなみに学会では、僕らの新手法のうわさが回っているらしく、発表時間中だけでなく、時間後にも、質問やよその企業の挨拶がやたらきた。
今日でひと段落。
これは小学生の頃に想像した「なんかすごい発見をして、みんなの前で格好良く発表する僕の図」を叶えたことになるんだろうか。
多少細部が歪んだり、色が褪せたりしたとしても。
正直言って、ばかみたいだな、とは思う。
もちろん誇りを持って仕事をやってはいる。
取り敢えず明日僕がなんかで死んじゃって、神様の前でスピーチをする破目になったら、こういうだろう。
「自分は希少物質の代替技術の開発をやってきました。近い将来、この物質を求める人は減るでしょう。
未来のどこかにある、人間が特定の資源で困窮したり、争ったりしなくて済む社会の建設に少しでも貢献できたでしょうか。」
大げさではない。僕らのやってることは卑小でささやかではあるけれど、結局のところはそういうことだ。(会社の第一目的はもちろんお金だけど)
確かに社会に役立っている。だとしても、ばかみたいだ。
どうしてこんな風に感じるんだろうか。
1 材料開発なんてマニアック過ぎて、業界の人以外、興味ないから
2 仕事が地味だから
3 合コンでモテなそうな仕事だから
4 仕事上の成果と自分のアイデンティティーを混同したくないから
5 どれだけ学会で注目されても、製品が売れなければ意味が無いから。
6 子供の頃の夢を叶えることなんて、世間でいうほどの価値がないから
7 子供の頃に想像していたものが、色の若干褪せた現実になったから
ちなみに1ー3はどうでもいいな。割と好きでやってるし。
『明日の朝もとても早いのに 眠ることさえ忘れてしまう様な 生きがいがこんなものだなんてね うそみたいだろう』大森靖子