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風に向かって 壁に向かって

風に向かって書くように。壁に向かって話すように。日記や考え事の中身を書いたり、気に入ったものの紹介をしています。どちらかといえば個人的に。

Komm,susser Tod

訳詩

I know, I know I've let you down 

君をがっかりさせてきたんだ

I've been a fool to myself 

僕自身を駄目にし続けることで

I thought that I could Live for no one else 

君のためになら、生きる意味だって信じられた

But now through all the hurt & pain 

でも総てが過ぎ去った今、ようやくわかった。

It's time for me to respect The ones you love Mean more than anything

君が愛する全てに感謝を告げる時が来たってことを

So with sadness in my heart

悲しいけれど

feel the best thing I could do is end it all

僕に出来ることは、さよならを言うことだけだって本当はわかってた

 and leave forever

 君と会うことは、二度とない

what's done is done it feels so bad 

過去は過去としてあり続けるだろう

what once was happy now is sad

かつてあった幸せが僕を突き落とす

I'll never love again 

僕はもう、人を愛さない

My world is ending

これが僕にとっての世界の終わり

 

I wish that I could turn back time

過去に戻れたらどんなにいいか

Cos now the guilt is all mine

この罪は僕の手の中にだけ残ってしまったから

Can't live withoutThe trust from those you love

君にすがることでやっと生きて来られた

I know we can't forget the past

僕達は、過去を忘れないだろう

you can't forget love & pride

君は君自身であり続けるだろう

Because of that, It's kill in me inside

君の愛情、君の強さ、これが僕を殺し続けてきた

 

It all returns to nothing

全てが無に還っていく

t all comes tumbling down,tumbling down, tumbling down

崩れ落ちていく、全て、全て、すべて

It all returns to nothing,

全てが無に還っていく

I just keep letting me down letting me down, letting me down

僕は落ち続ける、落ち続ける、落ち続ける

 

In my heart of hearts

心の奥深くで告げている

I know that I called never love again

僕はもう、愛さないのだと

I've lost everything Everything

全ては崩れ落ちていった

Everything that matters to me, matters in this world

この世界には何も何も何も何も―何もない

 

(繰り返し)

 

It all returns to nothing

全てが無に還っていく

t all comes tumbling down,tumbling down, tumbling down

崩れ落ちていく、全て、全て、すべて

It all returns to nothing,

全てが無に還っていく

I just keep letting me down letting me down, letting me down

僕は落ち続ける、落ち続ける、落ち続ける

 


Come, Sweet Death - Arianne [HQ] - YouTube

 

何年かぶりに昔のエヴァンゲリオンを見たので、

Komm sussser tod=甘き死よ、来たれ、を好きに訳してみた。

(意外だったが)今見ても十分面白い。

神話のようなスケールと、グロテスクな肉と骨の融合が素敵だ。

 

この曲で特に好き部分は

I know we can't forget the past

you can't forget love & pride 

Because of that, It's kill in me inside

のところ。

生きるということ(自分版)

詩歌

一人ひとりがこれを作ってみたら、とても価値があるんじゃないだろうか?

谷川俊太郎みたいに。

 

『生きる』

生きているということ

今生きているということ

 

それは空気が匂うということ

朝が来るということ

同じ日は来ないということ

この道を歩くということ

 

生きているということ

今生きているということ

それはマウンテンバイク

それはフルーツジュース

それはホワイトシャツ

全ての新しいものに出会うということ

自然をそっと手に取るということ

隠された暗闇をじっと見つめること

 

生きているということ

今生きているということ

それは歩けるということ

叫べるということ

一人立つということ

自由ということ

 

生きているということ

今生きているということ

原子が揺れるということ

笑い声が響くということ

電波が宇宙を渡るということ

だれかが銃を撃つということ

サバンナで象が倒れるということ

老人が咳をするということ

 

生きているということ

今生きているということ

炎がゆれるということ

木立がざわめくということ

人は歩くということ

一つの靴音

いのちということ

留保のあるラブソング

音楽

自分の好きな音楽ジャンルの一つを挙げろと言われたら、僕は「留保のあるラブソング」を挙げる。個人的な好みの問題で。

それって何?ときかれると困るのだが。

 

例えば村上春樹のエッセイを読むと、時々「留保のない○○」という表現が出てくる。大抵は留保のない情熱、とか留保の無い愛情、みたいに「無条件で肯定出来るもの」という意味で使われている。

「留保のあるラブソング」はそれとは真逆で、「無条件で肯定できない愛情」の歌のことだと自分は考える。

 

すぐに思いつくのが以下の三つ、

スピッツ「冷たい頬」


スピッツ / 冷たい頬 - YouTube

くるり「ばらの花」

The Beach boys 「God only knows」


The Beach Boys - God Only Knows (Lyrics via ...

 

「あなたのことを深く愛せるかしら」という、まさに愛情の留保から始まる「冷たい頬」。

 

明確な愛情の喪失ではなく、雨降りの情感と気だるげな雰囲気、単純な「好き」では表せない恋人への淡い倦怠感とほのかな恋慕。これをジンジャエール、バス停という小道具で詩的に表現している「ばらの花」

 

「I may not always love you,」と始まる「God only knows」。「君がいなくても人生は確かに続く、でもその世界は僕に何も示さない」。

 

この三つを挙げれば、僕が言わんとしていることは理解されるだろうか?

 

大抵のラブソングは、愛情を肯定的、単純的に捉えている。人を愛することは素晴らしいことで、失恋することは悲しいことなのだ。恋人と恋愛は基本的に肯定されるべきで、自分(もしくは相手)は、もう一方のことを本気で愛しているのだ。

 

これって本当なんだろうか?みんなそんなに自分の愛情に自信をもっているんだろうか?自分が本当に相手を愛しているのか、100%確信できる人間がこの世のどこにいる?相手を純粋に愛せないことの悲しさは、ラブソングに歌われなくていいのか?

 

上に挙げた歌のなかには、この疑念がある。

自分がもっている愛情への疑念、不安、そして近しい人間同士の消せない断絶、断絶を消せないことへの悲しみがある。そのこと自体がこれらの歌をすぐれた「愛についての歌」たらしめている。

 

この音楽を聴く。「自分は誰も愛していない」と唱える。

 

凡人が生きる。いのちということ。「灰と幻想のグリムガル」の感想。

漫画とか軽い本とか

『灰と幻想のグリムガル』、がアニメ化されるらしい!!

 

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TVアニメ『灰と幻想のグリムガル』PV第1弾 - YouTube(色合いが優しくて好み。サガフロを思い出した。)

 

第1巻を読んだときからこのシリーズにほれ込んでいる自分としては、声を大にしてオメデトウを言いたい。

(今一番新刊を楽しみにしている連作小説は「灰と幻想のグリムガル」です!とはちょっと周りに言えない31才。だから小声でオメデトウ。)

 

ちなみにストーリーは、記憶を失った状態で中世ファンタジーの世界に飛ばされた主人公達が、モンスターを倒して生計を立てる「義勇兵」として生きていく、という胸焼けがする感じ。 

敢えて言うなら主人公たちが凡人ばかり、というのが特徴。(可愛い女の子がやたら出るのは気にしないこと。)

しかも仲間が微妙に仲良くない。

 

1巻では特に派手な活躍も無い。

ドラクエ、FFで言うなら、スライム、ゴブリンを倒して小銭稼ぎをする程度の内容

ダイジェスト的には

ぶちスライムレベルの敵8匹に仲間総がかりで向かって、HP尽きるぎりぎりのところで何とか倒せました。10ゴールド手に入りました。ヤッター!!」って感じ。 

 

これは面白いのか?

断言できる。超面白い。

 

なんせ、こんなにシビアな戦いを書いているものを見たことがないってくらい、ハラハラする。

絶望的な敵と戦う漫画、ゲーム、小説はいくらでもある。でも、この作者ほど、

「頭に一撃食らったら、死ぬ」感じを上手く出している人はいないと思う。

 

常識的に考えれば、例え相手がゴブリンだろうと頭を鈍器で殴られれば死ぬ。

人間大の生き物と一対一で殺しあえば、自分だって死ぬ。

さらにどんな弱い生き物でも生き死にがかかれば、総てをかけて向かってくる。

「簡単に殺せるモンスター」なんて、いる方がおかしいんだ

 

だから一巻で自分が好きな場面の一つは、主人公達が初めてもモンスターを殺すシーンだ。

小さなモンスタ一1匹が相手なのに、雄たけびをあげる必死の抵抗や、命が尽きるときの取り返しのつかなさ、血なまぐささを描写する腕が凄い。

 

作中の戦い総てが、「剣を振れば相手が一方的に死ぬ」のではなく、自分も相手も泥の中を這いずりまわって、相手にしがみついて、何度も何度も武器を振るって、ようやく相手を倒せるって感じ。

 

しかもそんな死闘を制しても生活費すら稼げない。シビアなのは戦いだけじゃない。

確かに「ドラクエ、FFで言うなら、スライム、ゴブリンを倒して小銭稼ぎをする程度の内容」なんだが、日用のための小銭稼ぎをするのが、どれだけ大変なことか。(現実世界の事を考えればわかる。)

 

才能も、特別な訓練が出来る環境も、社会的な地位も何も無い、仲間同士の信頼や絆さえ十分に作れない主人公達が、取り返しのつかない失敗をしながら、必死に手を伸ばしてみんなで一緒に小さなものを掴み取る、この切実な姿にグッとくるんだ。

 

ライトノベルと馬鹿にするなかれ。この主人公達は最高だ。

他のファンタジーには無いテーマ、作風だけにこの物語がもっと知られて欲しい。

灰と幻想のグリムガル、滅茶苦茶期待している。

  

灰と幻想のグリムガル level.1 ささやき、詠唱、祈り、目覚めよ (オーバーラップ文庫)
 

 

豪遊する

日記

仕事が無い日は行くとこなーい、って歌いたくなる感じの一日だったので、偶には豪遊してみた。

 

まずは、メイン目的の秋シャツ探し・・・は百貨店やら色々探すも全く気にいらず。代償行為として、一目見て気になった南米風のポンチョを購入。

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これ、いつ着るんだろう・・・という疑問。まぁ、取り敢えずキャンプの時にでも着て気分を出すことにする。あと、家から徒歩10分以内ならいけるでしょ。

 

次はレコード屋だ!ということで池袋のタワレコへ。

いきなり柴田聡子の新譜を見つける。

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自分の大学の地味系音楽サークルにいてもおかしくない佇まい。

試聴した曲は、前作よりも元気良く歌っている印象。音楽批評で『脱「味系」』と煽られていたのは、上手い表現だと思う。

どこかで平賀さち枝のことを「平熱の感性」と評していたけれど、この人も結構平熱だと思う。しかも、人よりやや低い平熱。

前作は好きな曲も多いけど、起伏が少ない+長いので、正直に言って全曲聴きとおすのはつらかった。今回はいけそう。

 

柴田聡子

柴田聡子

 

 さらにダイアナ・パントンの新譜を発見したので購入。

この人のCDは聴きやすくて好き。安心感がある。 

アイ・ビリーヴ・イン・リトル・シングス ~わたしの小さな願い

アイ・ビリーヴ・イン・リトル・シングス ~わたしの小さな願い

 

 

お腹が減ったので、蕎麦屋に入る。池袋駅近くの地下に構えているお店。

 ほんのり暗くて、JAZZがかかっていた。

なんか、なんでもJAZZかけとけばお洒落、みたいな風潮ないか・・・?イタリア料理屋さんとかもそうだけど。

メニュー表をみたら「ばくらい」があったので注文。ナマコとホヤで作った塩辛的なもの。仙台のスーパーで初めてホヤを見たときの衝撃を思い出した。

「何これ・・・?東南アジアの果物?」みたいな。

 

次は本屋。ジュンク堂へ。

前々から買いたいけれど高くて手が出せなかったものを買う。

「暴力の人類史」と  「千の顔を持つ英雄」 

 

暴力の人類史 上

暴力の人類史 上

 

「暴力は時代を経るごとに減少してきた」という、ホントかいな?と聞き返したくなる話を扱った本。

分厚い。とにかく分厚い。統計データが多い。

一次、二次大戦時は中世よりも戦争による死亡率が低く、国家出現以前の未開、原始社会は戦争による死亡率が滅茶苦茶高い、らしい。

  

上巻を読んで、少年犯罪も凶悪犯罪も統計上どんどん減少しているのに、マスコミのニュースのせいで統計と実感が恐ろしく乖離している、という現象を思い出した。

さもありなん。

 

千の顔をもつ英雄〈上〉

千の顔をもつ英雄〈上〉

 

古今の英雄物語のパターンを分析した比較神話学の本。 この人の「神話の力」が面白かったので購入。

 

まじめな本を探すのに疲れたので、料理本コーナーへ。

 

先日初めて作ったシンガポールライスが美味しかったので、調子に乗ってタイ、ベトナム料理の本を探す・・・・も結論は「この程度なら、インターネットで代用できそうだなぁ」だった。クックパッドとか、全体のノリがあまり好きでないのだけれど。

 

ベトナム料理の棚の横に「パイナップルの歴史」という本が置いてあったので、熟読する。コロンブスが持ち帰ってきたのかー。

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「宝石のような果肉と芳しい匂いで国王を魅了した」、「模様が数学のフィボナッチ数列に従う神秘性」とかどうも当時一大ブームを引き起こしたらしい。

パイナップルの黄金時代。

みんな、酸っぱい、とか、口がヒリヒリする、とかは気にならなかったんだろうか。

自分はパイナップルが好きではない。

 

本屋にいったあとは、デパートの地下街で菓子を物色した。

良く分からなかったので、取り敢えず人が並んでいた和菓子屋に並ぶ。

紫蘇入りおはぎと豆大福+最中。

 

電車の中で最中を頂く。豪遊した一日だった。

 

秋の虫、美しい孤独、美しい惨めさ

詩歌

今日、初めて家で虫の声を聴いた。

もしかしたら今日以前から鳴いていたのを気づかなかっただけかも知れないけれど。

 

思い出したのが、

しのびやかに遊女が飼へるすず虫を殺してひとりかへる朝明け 若山牧水 

の歌。

 

惨めな遊女のちっぽけな鈴虫を殺す、惨めな俺、という歌。

そして惨めな者同士が、お互い寄り添うことが出来ない惨めさの歌。

 

この歌がとても好きなのは、この二人の孤独、惨めさが美しいからだと思う。

すこし冷たい朝の空気、あらゆる体温とあらゆる音を拒んだ静謐な孤独がここにある。

 

素養と教育の不足のせいか「大御所」の短歌を退屈に感じてしまうことが多い。

でもこの歌を見て、やるじゃん牧水、と素直に思った。

9月11日のこと 9.11

考え事

2001年9月11日、同時テロの日の僕は、実力試験を翌日に控えた高校生だった。

塾から帰ってきたら父が食いつくようにテレビを見ていて、高層ビルに飛行機が突っ込んだことを教えてくれた。

 

そのとき感じた印象は、一生忘れないだろう。

テレビを見た時、ビルが崩れたとき、誰かが悲鳴をあげた時、僕が感じていたのは、とてつもなくワクワクする気持ちだった。

「思ったとおりだ!」

やっぱりみんな嘘だったんだ!」

叫びだしたいような気持ちだった。

 

正直に言って、被害者のことなんか考えていなかったと思う。ひどい人間だと言われれば、そのとおり。弁解はする気も無い。

当時の自分には、どうしても被害者のアメリカ人の皆さんに共感することは出来なかった。

 

すこしズレた話をするようだが、当時の自分はやはり人並みに世界の色々な理不尽に疑問を持っていたんだと思う。

 

自分と同じ年で戦争に行く人がいるし、自分より小さい人が飢え死にしているのに、

自分はヘラヘラ学校通って、部活やって、トーダイ目指して勉強して、テストの点数に一喜一憂して。

何がなんだか分からなかった。

 

例えば、教科書に冷凍エビ工場で指を切断した児童労働者の話が出てきたり。

その日の給食がエビピラフだったのに、先生はそれについて何も言わなかったり。

 

旅行で行ったインドネシアの絨毯工場の作業員が、自分より遥かに年下だったり。

 

自分の見ているものが、本物じゃないような、曇りガラス越しに総てを眺めさせられているような感覚。

 

自分やみんなが何かを踏みつけているのに、足元が見えない。

「生きている」の裏側に「死んでいる」が張り付いている筈なのに、見ようとすると邪魔されてしまう。

僕の中にも、友達の中にも、彼女の中にも、「サカキバラ事件」の犯人と同じような邪悪さがあるのに、僕は彼ら、彼女らと机を並べてお喋りをする。

「平穏」の曇りガラスの板一枚下には地獄が凝っているのに、みんなそれが見えないふりをしている。

 

あの飛行機がビルに突っ込んだ日、一瞬だけ曇りガラスが割れて、その向こうが見えた気がした。

悲惨な不幸も、興奮も、悪そのものも、そして死も、自分の生きる世界のすぐそばにあった。

「思ったとおりだ!」

やっぱりみんな嘘だったんだ!」

 

大人になった今、曇りガラスの向こうにあるのは、鮮烈な地獄ではないことを知った。

 

総ては色褪せた日常の一部として流れる。

今日もご飯を作る。

知り合いの子の笑い声にほっとする。

テロ事件の被害者のことを考えて、悲しくなる。

目を覆うような不幸もある。けれど幸福も不幸も、大体において中途半端なもの。

 

たまに思う。

自分は曇りガラスの先に来られたんだろうか。

それともその「先」の存在を感じられなくなってしまっただけなんだろうか。

 

そうだとしたら、きっと自分は平穏に生きていけるだろう。

僕は生きている。ぼやけた不幸と幸福を繰り返しながら。