9月11日のこと 9.11
2001年9月11日、同時テロの日の僕は、実力試験を翌日に控えた高校生だった。
塾から帰ってきたら父が食いつくようにテレビを見ていて、高層ビルに飛行機が突っ込んだことを教えてくれた。
そのとき感じた印象は、一生忘れないだろう。
テレビを見た時、ビルが崩れたとき、誰かが悲鳴をあげた時、僕が感じていたのは、とてつもなくワクワクする気持ちだった。
「思ったとおりだ!」
「やっぱりみんな嘘だったんだ!」
叫びだしたいような気持ちだった。
正直に言って、被害者のことなんか考えていなかったと思う。ひどい人間だと言われれば、そのとおり。弁解はする気も無い。
当時の自分には、どうしても被害者のアメリカ人の皆さんに共感することは出来なかった。
すこしズレた話をするようだが、当時の自分はやはり人並みに世界の色々な理不尽に疑問を持っていたんだと思う。
自分と同じ年で戦争に行く人がいるし、自分より小さい人が飢え死にしているのに、
自分はヘラヘラ学校通って、部活やって、トーダイ目指して勉強して、テストの点数に一喜一憂して。
何がなんだか分からなかった。
例えば、教科書に冷凍エビ工場で指を切断した児童労働者の話が出てきたり。
その日の給食がエビピラフだったのに、先生はそれについて何も言わなかったり。
旅行で行ったインドネシアの絨毯工場の作業員が、自分より遥かに年下だったり。
自分の見ているものが、本物じゃないような、曇りガラス越しに総てを眺めさせられているような感覚。
自分やみんなが何かを踏みつけているのに、足元が見えない。
「生きている」の裏側に「死んでいる」が張り付いている筈なのに、見ようとすると邪魔されてしまう。
僕の中にも、友達の中にも、彼女の中にも、「サカキバラ事件」の犯人と同じような邪悪さがあるのに、僕は彼ら、彼女らと机を並べてお喋りをする。
「平穏」の曇りガラスの板一枚下には地獄が凝っているのに、みんなそれが見えないふりをしている。
あの飛行機がビルに突っ込んだ日、一瞬だけ曇りガラスが割れて、その向こうが見えた気がした。
悲惨な不幸も、興奮も、悪そのものも、そして死も、自分の生きる世界のすぐそばにあった。
「思ったとおりだ!」
「やっぱりみんな嘘だったんだ!」
大人になった今、曇りガラスの向こうにあるのは、鮮烈な地獄ではないことを知った。
総ては色褪せた日常の一部として流れる。
今日もご飯を作る。
知り合いの子の笑い声にほっとする。
テロ事件の被害者のことを考えて、悲しくなる。
目を覆うような不幸もある。けれど幸福も不幸も、大体において中途半端なもの。
たまに思う。
自分は曇りガラスの先に来られたんだろうか。
それともその「先」の存在を感じられなくなってしまっただけなんだろうか。
そうだとしたら、きっと自分は平穏に生きていけるだろう。
僕は生きている。ぼやけた不幸と幸福を繰り返しながら。
僕たちは、なぜ豊かに暮らしているのか
会社の会談の踊り場で製造の親方と話した。「はやくイイ物を開発して、地元の工場を盛り上げてくれな。」。
日本拠点の工場には仕事がなく、人余りだと聞く。
ウチの部署には二つの流れの製品がある。
一つは日本の工場が作った日本向け製品。
一つはアジア拠点で現地従業員が作成した海外向け製品。
僕がテストしたところ、この二つには何の性能差も見られなかった。総ての製品で。
海外拠点の労務費なんて、日本の数分の一に過ぎない。
僕らはなぜ他の国の人より豊かに暮らしているんだろう?
僕らは何を持って自分の豊かさを正当化しているんだろう?
職業に貴賎なし、とはよく言うけれど。
発展途上国の人間と同レベルの仕事をしている人が、先進国に生まれたってだけで豊かに暮らすのは、恥ずべきことなんじゃないか。
中国人の給料が上がり、日本人の給料が下がる。
グローバル化が進む限り、流れは止まらない。
先進国:10の貧しさ、発展途上国:90の貧しさ だったのが
先進国:20の貧しさ、発展途上国:65の貧しさ、になるだけ。
日本人の多くは認めないだろうけれど、世界はより平等に、幸福になりつつある。
不幸になるのは、いままで理由も無く豊かだった人だけ。
工場のだけじゃない。将来は僕らみたいな研究開発だって現地化するだろう。
製造業だけじゃない。医療、インフラ、農業、サービス、ありとあらゆる分野が、別に日本人でなくとも良くなるんじゃ無いだろうか。(取って代わるのがロボットやITかもしれないが。)
「お前らはどういう理由があって、そんなに豊かに暮らしているんだ?」
我々全員が、そう問われている。
伸びすぎた爪を見ている
友人から「体の一部を使った短歌を作れ」と言われる。
・伸びすぎた爪を見ているまた明日も言われぬであろう さよなら
上手くまとまったけど、まとまりが良すぎてイマイチ。あと女性的にすぎるか?
短歌とか久しぶりに作った。
もう一個。
欝病で服薬している妻を「死にたいでなく生きたいと云え」とか言いながら殴る、社会的底辺の夫、みたいな歌が作りたいけどまとまらない。
イメージは金子みすずの夫をもっと粗暴、野卑にした感じなんだが。
自分はどうしてポジティブな短歌が作れないんだろう、と思いながら今日も生きる。
今日のwhyなぜ
今日のwhyなぜ
Q:「どうして巨大イカは存在するのに巨大タコは存在しないの?」
ダイオウイカとかいるのにさぁ・・・。
Yama's answer(仮説):
A:「イカは外洋、深海型、タコは近海、浅瀬型が多いから。」
イカって水中をスイスイ泳いでますけど、タコって基本待ち伏せ戦法ですよね。
するとタコ的には獲物が自分の上を通り掛かる機会の多い浅瀬に住むほうが有利なはず。
浅瀬で巨大化してもしゃーない。
かさばる上、他の生き物に見つかって食べられやすくなりそうだし。
その点、イカは外洋にもひょいひょい出てくし、生き物が巨大化しやすい深海にも住んでますしね。
(自分のなかで) 答えが出た。
あーすっきりした。
next question→「なんで深海では生物が巨大化しやすいの?」
ダイオウグソクムシとかさ・・・。
食べ物ないんだし、小さいほうが良くないか?
耐水圧、保温性が高い?生殖相手と出会うのに必要な寿命が長い???
その嘘は君に任せた
友人から急に短歌のお題が届いた。
『その嘘は君に任せたー』以降を作ることに。
短歌を作り始めて2,3ヶ月の人の割に、面白い出だしだと思う。
いろいろ発展性がある。
このお題を聞いて、すぐに浮かんだイメージはあるんだけど、それが言葉にできない。
イメージ
・高校生くらいの男の子、女の子がいます。
・二人は恋人同士です。
・この恋愛関係を成立させてるモノのうち、ファンタジーっぽく、かつマジカルな要素を『嘘』と表現しています。
・二人の共通了解である『嘘』を再確認するため、相手に投げかけています。(楽しそうに)
コレが5・7・5・7・7に転換できない・・・ので俳句にしてみた。
『その嘘は君に任せた夕蛙』
カエル、嘘ついてもゆるされそうじゃん?
(カエルの写真を張ろうとするも、蛙が苦手すぎて写真を直視できない・・・。)
恐竜とか、実は最近まで生きてたんじゃなかろうか説
恐竜とかが数千年くらい前まで生きていて、それを見た人類が、神やら竜やらとして記録を残した・・・とかだったらいいなぁ。
こんなことにロマンを感じてしまう30才。
昼休みに「最近の学説だと、ティラノサウルスとか羽毛ふかふかだったんだって?」というような会話になった。
↓イメージ図
ジュラシックパークをみた世代には受け入れがたいフサフサ感。サンリオあたりで商品化できそうなフォルム。
恐竜がもしもこんな風だとしたら。竜やらオロチやらが、生きてる恐竜を古代人が目撃した結果とは考えにくい・・・やつらフサフサしてないし。
しかも、アフリカ奥地に恐竜が生きてる!!とかそういうネッシー系の未確認動物の信憑性も大きく下がってしまう。毛がフカフカのネッシーとか聞いたことない。
考えがここにいたって、凄くがっかりした。
恐竜の生き残りも、古代人と恐竜の共生も有り得ないなんて。夢も希望も絶たれたと思った。
でもよくよく考えてみると、希望がある。
我々人類は、最近まで恐竜がフカフカであることを知らなかった。
だから、もしも「羽毛を生やした大きな爬虫類」の伝説を古代から伝えている民族があれば、この民族は古代に恐竜の生き残りを見ていた可能性が高いんじゃなかろうか。
ここで、自分に電撃走る。「ケツァルコアトル!!!」
名前の意味は「羽毛を持つ蛇」!!
小学生のころインカ、マヤの本で読みました。(そのあとゲームにも出てきた。)
あぁ、古代の南米には恐竜がいたんだ。そんで現地の古代人に神様神様崇められてたんだ・・・・。夢も希望もあったんだ。
一人で納得し、午後から安心して仕事ができた。
良かった良かった。
最後に未確認動物探検隊の人に一言アドヴァイス。
恐竜=フカフカ説 が知られる前の時代に「羽毛の生えた巨大爬虫類」の目撃情報があった場所。これが恐竜の生き残りがいる可能性の高い場所だろう。
逆に今まで『いかにも爬虫類な恐竜(=当時の恐竜観に沿った恐竜 )見ました』、みたいな報告が出ている地域はでまかせくさい。
はやく見つかんないかな、恐竜。
「人類は衰退しました」の真実。妖精さんが表すもの。
「人類は衰退しました 9」読みました。まさかの最終巻。
科学も都市も学校も貨幣もなくなった未来。
里のみなさんで自給自足の衰退ライフをのんびりやれればそれでいいや、という世界のなか、人類最後の高等教育を受け、もはや存在自体が怪しい国連の職員として働き始める「わたし」。
役職名は「調停官」。
それは人類が衰退すると同時期に増え始めた、不思議パワーとノリの生き物「妖精さん」達と人類のお付き合いを上手くこなすためのお仕事でした。
・・・というのがあらすじ。(貨幣が存在しない世界の「国連職員=非生産職」ってどうやってご飯食べてくんだろう?)
このシリーズ、自分は妙に好きで、普段は見ないアニメまで見てしまう始末。(アニメ面白かった。色味がいいかんじ。)
『楽でクリエイティブな仕事がしたい』、『「職掌の範囲外なので」とかいって仕事サボりたい」』みたいな数々の駄目人間的発言をくりかえす「わたし」が「妖精さん」が起す迷惑騒ぎを解決していきます。
(「わたし」が原因の迷惑騒ぎもかなりある気がするが。)
自分は、「わたし」が地下の科学遺跡を探索する羽目になる話が一番好き。「妖精さん」無しだとフツーに死ぬ作中1,2を争うシビア加減でした。
ちなみに最終巻は今までと違って、妖精さん的なさわぎは在りません。
というか、読み終わっての第1声が
「えっ、この世界、理屈とか細かい世界設定とかがあったの!?」です。
妖精さんの不思議パワーで総て説明するのかと思ってました・・・。
なんかいきなりキチンとしたSF(ファンタジー?)風になってる。
この巻で、衰退世界の歴史、人間さんの存在の真実、そして「妖精さん」とは何か、が明かされます。
いずれも明言されず、仄めかしの域を出ない書き方がにくいのですが、頭の中を整理すると、こういうことになりそう
私達の住む「光のある世界」と別に「光のない世界」があり (怪しい宗教かよ!?)、人類の衰退前、妖精はここから人類を見続けていた。
人類が自力での発展の限界にぶち当たり、衰退を始めたあたりからこの二つの領域の間に境目ができ始め、現実世界自体も、ゆるーい感じに変わっていきました、と。
(たいしてシリアスな世界観ではないので、用語を適当に置換しときました。)
この二つ世界を繋ぐ役目が「調停官」の真髄だったということですね。
お菓子を作って妖精さんにあげるのが本業かと思ってました。
そして、「わたし」みたいに妖精さんをたくさん見られる、仲良くできるような人間はどこの時代にもいて、妖精さんは生きるのが辛い人間のそばにいてくれる存在だった、と。
「わたし」の学生時代、心自閉状態で妖精さんと初コンタクトするエピソードもそういうことだったんですね。
この「妖精さん」ってうちらの住む現実にもいますよね。
つらくて無慈悲なリアルワールドを覆う、ラブ的な何か。
時々、僕らの住んでる世界も似たようなものに覆われてるような気がします。
これになんて名前をつけたらよいのだろう。
ロマン、らぶ、不思議、ファンタジー、美、温かみ、楽しさ、希望、ユーモア、わくわく、言い表せない観念もひっくるめて。
それを感じるとき、人間は世界を素晴らしいと思うんだとしたら。
「妖精さん」って、世界を素晴らしいと感じさせるもの、この名前をつけられない何かのメタファーなんだと思いました。
以上で何年も続いた「人類は衰退しました」本編は終了とのこと。
作者の人、お疲れ様でした。
最終巻で一番好きな場面は 最後の方。
月面で死に打ちのめされた「わたし」に向けて、妖精さんと妖精さんの好物の金平糖を満載して地球から打ち出された貨物が着弾するところです。
金平糖が空から降りそそぐわ、仲間が来るわ。
最終巻たるものこうでなきゃ。